昭和51年12月29日 朝の御理解
御理解 第84節
「おごりがましいことをすな。ものは、細うても長う続かねば繁盛でないぞ。細い道でも、しだいに踏み広げて通るのは繁盛じゃ。道に草を生やすようなことをすな。」
細い道でも踏み広げて通るということ。小さい道から急に大きな道に出たかと思うと、また小さい道に入っていく。迷路に入って行ったりそういう事ではない。もう細うても踏み広げて通らなければ繁盛ではない。繁盛と言うのはここ一両日頂きますように、日まさり月まさり、年まさりのおかげを頂いていくという事が、細うても踏み広げて通る道だと私は思いますね。
昨日は竹葉会でした。それで昨日の朝の御理解を頂いて、西岡先生が司会をして、皆さんにいろいろ発表をしてもらいました。もう私はそれこそ思わず話の後に手を叩いたんですけれどもね。麻生さんところの家内がこんな発表をしておりました。ただ主人について参ると言うだけでね、信心の有難さも何も分からん何年間でしたけれども、先日からの婦人大会に参加させて貰うて、いうならその日はもう信心のお話を聞くと言う事で、一日かかりきらせて頂いた。
そして言うならば本気で話を聞こうと言う気になったら、今までの信心がね、本当に惜しい事であったと。聞く気で頂けば確かに有難いおかげを頂けると言う発表をしました。だから
まぁ幼稚園なりにあの素晴らしい開眼が出来たねと言うて、まぁ申しました事でした。本当に聞く姿勢というものを作ったら、こんなに有り難いのにまたこんなに有り難いおかげを頂くのにと言うのです。また文男先生ところの家内、良江さんが発表しておりました。もう子供達が言う事を聞かぬから、お父さんあんた少しは言うて貰わなければ、子供達が出来損ないますよち。どのくらい言うても絶対言わんち。それで結局私が言わんならんようになる。そして言う事を聞くかというと言う事を聞かん。
それでまたあなたが言わなきゃと、そのまぁ言うたら文男先生が、合楽の奥様の真似ばお前しろち言うた。それで私も負けんで言いました。親先生がお偉うありなさるから、奥様はついていきなさったつばってん。あぁたんとの尻には着いて来られんと言うたという話でした。そう言う様な所を、随分通らせて頂きましたけれども、子供達が言う事は、お父さんが言うこつなら聞けるけれど、お母さんの言う事は聞けないよち言うげなもん。そこでいわばまぁ翻然として考えた事はです。
ほんに失礼な表現ですけれども、親先生も始めから、偉うはありなさらじゃったという訳なんです。例えば恐らくあの福岡時代のご修行時代にです。奥様がね今に沢山の人が助かるようになるてんなんてんな、全然思うておられなかっただろう。その親先生に奥様が黙ってついて見えたという事を、何かの時にはっとその自分で感じ取った。以来おかげで私はねもうただ主人のいう事に黙ってついて行く。
子供達ももう言わない事に決めたら、この頃子供達が段々言う事を聞くようになり、おかげ頂くようになったと言う発表をしました。やはり信心過程ですね。麻生さんの場合であってもそうです。文男先生ところの良江さんの場合だってそうです。あなたが言うて貰わにゃと。言わん事が歯がいかった。と言うてほんなら自分が幾ら喧しゅう言うても、言う事は聞かん。それでなお主人にその事を言いますけれども、お前そんなら合楽の親奥様の真似ばしろと。
そしてなるほど親奥様が黙ってついていきなさったろうけれども、親先生が偉うありなさったから、着いて行きなさったんだと言う様な、言い訳をしましたけれども。その後にいよいよ分からせて頂いた事は、親先生も始めから偉うありなさったっじゃない。その偉うありなさらん先生に、黙ってついて行きなさった親奥様の事を思うたら、なるほどと合点が行って主人について行く事にも、主人のいう事についていきゃ間違いがないおかげが受けられるという訳なんです。
そういうところからです。ほんなら私共でもそうです。もう今日頂いたら明日頂くお米がないですよという様な所を通らせて頂いたけれども。一遍でもほんなら食べなかったと言う様な事はなかった。もうそういう事はずうっと続いた。いうならば細いところからそれこそない道と、それこそ自分で分けて通らんならんような道であったけれども、その道はそれこそ日まさり、月まさり、年まさりに段々踏み広げて今日であります
私は今日はここのところをねおかげに繋がる道という事。それは細うても良い。それを踏み広げていくのが、繁盛じゃというところを聞いて頂きたいです。さらっと広い道に出たかと思うと、またすぱぁっと行き詰って小さい道に入らんならん。かと思うとまた大きなという様なです、ではなくて次第次第に踏み広げて通るのが繁盛なんです。もう絶対繁盛に繋がるです。
その絶対繁盛に繋がるような信心とは、そんならどういう信心かと。そこでまぁ結局私の信心を、皆さんが見て頂く以外にはないのです。日まさり月まさりに年々歳々おかげを頂いてきて今日がある。どう言う様な場合であっても、そのどう言う様な事にでも、それが必ずおかげの元になって行った。難儀がないじゃない。けどもその難儀のあるたんべんにそこを踏み広げて、次のおかげの手掛かりにして行ったと言う事であります。
昨日竹葉会に始まりに私のお話をしばらく聞いて頂いた。泉尾の教会の親先生のお言葉がなかなか難解で分からないお言葉がある。これはどういう意味ですかと聞き正さねば分からないような難解の、まぁ御教えがございます。ところが毎月毎月同じ表現をなさっておられる。それを毎月毎月どういう意味であろうか、どういう意味であろうかと思うて頂いておると、いうならおかげに繋がる頂き方を分からせて頂く。
「私はこれは何時もみんなに申しますように、この教典の全てがねおかげに繋がる、お徳に繋がる頂き方をせなきゃいけん。どんなに高尚な分かり方をしても、それがおかげにも繋がらなければお徳にも繋がらない。実働です実際にそれに入って行けれる、それが行じられる表現と言うか、それをやろうと思えば実践出来る頂き方をしなかったら、値打ちはない。素晴らしい事だけれども、なかなか人間業ではついて行かれんと言った様な表現ではいけませんものね。
これはあの十一月号に先月ですね。こういう言葉が出ています。磁石は鉄を引き付ける。磁力は目に見えないけれど鉄を引き付けられる。鉄は引き付けられる。も一遍はなから読んでみましょう。磁石は鉄を引き付ける。磁力は目に見えないけれど、鉄は引き付けられる。人が金が仕事が向こうから集まって来る様な自分にならねばならぬ。それには真実に生き抜く事。何でもの願いに徹する事であるとございます。人が金が仕事が向こうから集まって来る様な自分にならねばならぬ。
私共の先生から言われる。親先生がまぁだ偉くない時です。さぁ今日はおかげで食べさせて頂いたけど、明日食べるものがないぞという様な時であってもです。言うならその時なりですけれども、その時なりに必要なものは、向こうから集まってきたという事であります。何時もお話を致します。もう私共が椛目に帰ってからでしたが。いわゆる今夜頂いたから明日頂くとがないち言う。本当に今日頂けたということがお前有難いじゃないかと。もう明日は明日、もう今日頂けた事を、しっかり御礼申し上げて休もうと。
まぁそういう調子であった。あくる朝裏の篠原さんと言う方がおられます。そこにあのそこの娘さん、娘さんと言うてももうお婆さんでしたけれど、草野におられました。その人が草野の小学校の何か大きな会合に雇われて行かれて、沢山おにぎりを作られた。ところがその日のおにぎりが沢山余ったから、せり箱一杯もう鶏になっとん食べさせて下さいち言うて持って来なさった。もちろんこれ食べて下さいといや失礼に当たるから、もうその時分鶏が二三匹私のその時分おりました。
鶏になっとん食べさせて下さいと言うて、せり箱一杯のおにぎりをもう本当にこの人の親切もさる事ながらね、もう神様の働きのこんなにも間違いないじゃないかと言う事です。もう塩が今日はもう一つまみもないと言う。朝の御祈念から帰らせて頂いてその事をお取次ぎ頂いて、帰らせて頂いて私が朝参りから帰ってきたら、表の戸が開けるんです。そしたら丁度うちの前を石炭箱をつけちから、ずうっと通り抜けられて原口つぁんとこん、原口さん所の記念碑の所に止まってから、えらい何か考えよりなさいますもん。
そしてまたくりっとひっくり返って殻、お宅には塩は要りなさらんじゃろうかち。石炭箱一杯塩を持ってきてある。もうそれも安うして計らせて頂いたら、これはまぁ言うならば一斗なら一斗ありますち言うたら一斗一升あった。値段も安いどうしてあぁいう事があったか、今に分からないです。と言うようにこらもうお米だけではなかった、塩だけではなかった。言うならお金だけではなかった。まぁ零細な事でしたけれども、そん時にはそん時にです。
言うなら向こうから、はぁもうあの時分から向こうから集まってくるおかげを頂いておったなという事です。だからそういう時に私一番億万長者になろうなんて願いを持っておったら可笑しいでしょう。昨日これはある教会の信者さんが、親子で参ってきた。昨日一昨日でした。昨日一昨日何か宝くじの発表か何かじゃなかったでしょうかね。何か久留米まで行きよるち言う。宝くじを買うとったからどうぞおかげ頂きますようにと言うて見えて、私が大きな声で笑うからびっくりしておられましたが。
そればってん一月間だけ楽しませて頂いたからね。その事だけばしっかり御礼申し上げなさいよち。そしてまた買うてくるとね、また次の一月楽しまれるからね。お金が当たるてん当たらんてんそげなくじが当たるとか、当たらんとかそげなこつは考えなさいますなち言うたら、こげな御理解は始めて頂きましたちと言うてね、あの親子のどっか朝倉郡の方でした。だからそういう例えば一遍で、夢のようなおかげを頂こうとは、その当時もうさらさら今日一日が、立ち行くと言う事だけが、真剣な祈りであり。
また立ち行く事がですもう本当に置いたものを取るように、お繰り合わせを下さるのが、なんともかんとも言えん、言うならば有難い勿体ないであった。細い道とはそこからそこから、いうならば今日米がいつでも何十俵あるか、倉庫の中に入っております。お金でも何千万かは必ず銀行の中にあります。銀行の中ち言うか銀行に預金があります。衣類なんかでもね今私がこういうのを着とる。この前の月次祭にお供えして十万円のシャツのお供えを頂いておりました。
けれどもまぁこれもやっぱり十万円のシャツです。昨日一昨日からこれを着せて頂いとります。正義先生とこに行くから、あのちょっと破けとったからこれと変えて。それでほんならまぁだこれは、二三年先になりますでしょうか着るとが。もうまぁだ着物はてを抜かんとが、幾らもタンスに一杯入っておりますという様にね。これからまぁだまぁだ広がるに違いはありません。布一寸買いません。いうならば向こうから集まってくるもんでなからなければ頂かんという頂き方からです。
そこから発足させて貰うて、そこから出発させて貰うて、いうならば踏み広げて通ってきた姿が、私のここ三十年の生き姿であると自分で思いますよ。そしてはぁ一遍なぱぁっとおかげ頂きなさったばってん、またすとうっとおかげをおててしもうたと言った様な事が、一つもありませんでした。いわゆる去年よりも今年今年よりも、また来年を目指して広がっていく事を確信しながら、踏み広げて来たのが今日の合楽です。
そこで私は昨日この、泉尾の先生のお言葉をこう言う風に聞いて頂いた。人が金が仕事が向こうから集まって来る様な自分にならなければならないと。そういう自分になると言う事は、ほんならどう言う事かと言うと、それには真実に生き抜く事だと仰っておられます。真実とは本当な事と言う事なんです。ほんなら本当な事とはどう言う様な事かと言うと、何でもの願いに徹する事であると説明しておられます。そこでこの何でもの願いという事は私はもう毎月毎月、この何でもの願という意味が分からなかった。
だから泉尾の信心な、ただお願いだけの信心かのように思うておった。ところが二三ヶ月前この何でもの願いと言う事、これはもう沢山お話の中に言葉が出てくる言葉です、泉尾の先生の。そこで何でもの願いというのは、勿論全ての何でも、牛馬のことに至るまで実意を持って願えと仰るから、何でも願って良いけれども。そのおかげを頂くと言う事だけを願うのではなくてです、起きて来る全ての事を合掌して頂かせて貰うと言う、何でも何でもの願い。
いうならば大海に鯨が棲むという様なおかげを頂くためにはね、大海のような信心をせろと。どんなにね綺麗な水も流れ込んでくるけれども、それこそ汚い汚水も流れ込んでくる。けれども黙ってそれを受けておるのが大海の姿。黙って受けていくと言う生き方。それこそ土のような信心。それを願いに願ってどう言う様な事であっても、合掌して受けさせて下さいという願いなんです。そして私は昨日そういう生き方の中に、鉄はね磁力は目に見えないけれど鉄は引き付けられる。
人が金が仕事が、向こうから集まってくると言う事は、ほんなら合楽流に言うとです、人間の幸福の条件の全てが、向こうから集まってくるという風に聞いて頂いた。金とか物とか人仕事だけの事じゃない。もう人間の幸福の条件です。その幸福の条件がなるほどお願いしますお願いしますと言うのじゃなくて、お願いしなくっても向こうの方からやってくる集まってくる、幸福の条件というものが足ろうて来るおかげ。それをですほんなら明日もう炊くお米がないですよと。
うん今日まで今晩皆が頂けたという事だけが有り難いじゃないかと。明日は明日の風が吹こう。明日は明日でまたおかげを頂いて行こうと。言うなら今日おかげを頂けたという事が、有り難い事ではないかと言う事が信心なんです。今月今日只今をですね、もう明日の事を思うたら不安で心配で、しかも俺達夫婦ならばねどげんでん辛抱するばってん、年寄りやら子供を抱えておって、腹をさせなんかと思うたら、本当にどうかせにゃおられん。ほんなら隣から一升借ってきとくかという事にもなりかねない。
けれどもね神様がお生かし下さる事を確信して、もう今日今晩皆んなが家族中の者が、生きながらえたという事が有難い事じゃないか。もう御礼さえ言うときゃよかぞと、明日は明日だと言う、私はこれが信心だと思うんです。私は細うても踏み広げるというその一つの原動力になるものは、その辺の所じゃないかと思うです。そして必要なものが必要な事で集まって来るんです。向こうから集まって来るんです。
始めの間は言うならば、木綿の着物が集まってきたら、次には銘仙の着物が集まってきて、次には金紗の着物が集まってきて、次にはそれこそ幾らするじゃら分からんという様な、つむぎ類の着物が集まってくるようなおかげを、私は頂いておるということ。始めからそげな何十万もするような着物は集まってこなかった。こりゃまぁだ古もんじゃあるけれども、主人が手を通しておりませんから、先生着て頂くならばと言った様な、いうならば古物屋から持って来た様な着物が集まってきた。
そして段々段々いうならば踏み広げて通ってくると言う事は、そういう事だと思うのです。最近私共の家内なんかは、もうそれこそもう宝石箱を開けたら、お前一杯じゃないかと。それもいうならば偽物じゃない、ほんなものばっかりヒスイがあるかと思うと、ダイヤモンドがあり、まぁオパールがあるかと思や、まぁとにかく様々な宝石が集まってくる。もうそれこそ二階の倉庫にゃまぁ言うなら、美術品と見ても良い様なものが、倉庫に二階には一杯入っておる。みんな向こうから集まってきたんですよ。
それこそ金光様がお書きになったものでも、一遍でも金光様に書いて下さいと言うてお願いした事はないけれども、それこそ軸あり額あり短冊あり色紙あり、様々な金光様がお書きになったものが、もうどこからとも知れずに集まって来るんです。だから先生が言っておられるのはその事だと思う。人が金が仕事が向こうから集まって来る様な、自分にならなければならないと言う事。
自分にならなければならないと言う事なんですよね。ならそういう自分になるためには、どういう事にならねばならぬかと言うとです。真実に生き抜く事だと言っておられます。ここまではあらゆる宗教者が説きますよね真実一路と言った様な事を申します。ほんなら真実一路とはです踏み広げて通れ、必ず人間が幸せになっていけれる条件が足ろうてこなければ、それは真実一路とは言えません。可笑しいです。自分だけが自分よがりに、自分は真実一路で行っておると言うだけの事です。
信心でいう真実一路とは、その真実一路は踏み広げて行けれる道であると同時に、全ての人間の幸福の条件が足ろうて来るのです。そこを私は確かめながら、そしてよりおかげの頂けれる、いわば自分になる事なんです。それにはね、今言われる所の合楽理念を、いよいよ分らせて貰いマスターさせて貰うて、理念に基づいた生き方。しかもどういうおかげを頂いても水も漏らさん生き方として、実意丁寧神信心が説かれるわけです。はぁ今まではこういう疎かな所から、おかげが漏っておったなと
。おごりがましい事をすなという事なんです。やろうと思えば子供でも出来る様な事をです。もうよかよかでやらなかった。おごりがましい事です。いうならば横着なんですやろうと思えば人間でも。この頃から修行生の人達が沢山信心の稽古にやって参ります。またうちの学院生も五人帰ってきた途端に何か家の中が乱れるですねぇ。今合楽でやっておる心行その心行の伴うた例えばお風呂の入り方洗面所自分達の部屋、そらどうしても人数が多くなるから仕方がないけれども。
その私が毎日来る日も来る日も、その事を言うておった時にはきちっと整頓が行き届いておった。所がそういう観念のない人達が、もうこん位の事はよかよかと言うのじゃないでしょうかね。部屋の中が乱れてきた。だから本当にね自分がそれをやろうと思えば子供でも出来る事なのですから。それを例えば心行が伴うたら、その言うならば整理整頓でも自分が気持ちの良いためじゃない。入ってきた人も気持ちが良かろう。入ったらきちっとしてある。
そのきちっとしてありゃいいなぁと思う心が、おかげを頂く元なんですから。言うなら子供でもなそうと思えばなせるような、疎かにしておった事を、疎かにせん事によってです。頂いたおかげを漏らさんですむ。水も漏らさんおかげの受け物が、段々出来て来る様になります。今日は細うても長う続かねばならないと同時に、踏み広げて通らなければならない。私共の信心三十年間の信心を振り返ってみてです。
ははぁこういう生き方が言うならばいよいよ明日は、食べるものがないと言う様な所からです、踏み広げて頂いて今日のいうならば繁盛があるのです。しかもこの繁盛の道は私共がおごりがましい事をしない限り、いよいよ広がりに広がって行く事だと私は思う。今日はそういう意味でね。八十四節はそういうおかげの頂けれる、いわば受け方頂き方を聞いて頂きましたよね。
どうぞ。